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Twitter、Facebookの次は"脳波"?――企画書、事業計画を捨て、プロトタイピングで世界に挑んだ「necomimi」

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※ベストチーム・オブ・ザ・イヤーのサイトから移設しました

2011年、米「TIME」誌の「The 50 best invention」の1つに選出。2012年に開催された「ニコニコ超会議」で製品版が先行販売されるや、初日だけで数千個を売り切るなど、国内外を問わず一大センセーションを巻き起こした「necomimi」。装着した人の脳波を読み取ってネコ耳が動くという、これまでになかった超未来型のコミュニケーションツールです。

このnecomimiを開発したのが、なかのかなさん、神谷俊隆さん、加賀谷友典さんの3人がスタートさせたプロジェクトチーム「neurowear」。この斬新なプロダクトはどのようにして生まれたのか? それを実現した"チーム力"とは? 3人にたっぷりと語ってもらいました。

necomimi:脳波をキャッチして気持ちを伝える「ネコミミ型」コミュニケーションツール。その人の感情に応じてネコの耳が動く製品で、集中すると耳は上に立ち上がり、リラックスすると、耳は寝る動きをする。集中とリラックスが混じった状態だと、立ち上がった耳がぴくぴくと動く。

スマホの先にあった脳波に、"未来のコミュニケーション"の可能性を見た

necomimi

まず、チーム「neurowear」がどういう経緯でできたかを教えていただけますか? そもそもはnecomimiを作るために集まったわけではないんですよね?

ええ。電通のコミュニケーション・デザイン・センターに「次世代コミュニケーション開発部」という部署がありまして。その中で脳波を使った新しいコミュニケーションを作れないか? ということで、3人でチームを組んでnecomimiプロジェクトをスタートしたんです。


実はnecomimiの前にも、2010年にこの3人でスマホアプリ「iButterfly」を作っていました。これはAR(拡張現実)と位置情報を組み合わせたもので、スマホをのぞくと見える蝶を、iPhoneを虫取り網のように振って捕まえるとクーポンがもらえるアプリです。そのプロジェクトが終わった後に、3人でスマホを使ったコミュニケーションの本『企業のためのスマホ戦略羅針盤』を書いたりもして、自分たちとしては「スマホはある程度やり切ったな」という感がありました。


じゃあスマホの先の、ちょっと未来のコミュニケーションをまた一緒にやろうということで、"脳波"に着目したnecomimiの開発を始めました。もともと我々の部署は「モバイルコミュニケーション開発部」という名前でしたが、その頃に、もう少し幅広いコミュニケーションに取り組むということで部署名も「次世代コミュニケーション開発部」に変わりました。


3人の役割分担はどのようになっているのですか?

なかのさんがメインのクリエイティブ・プランナー。iButterflyもnecomimiも、元はなかのさんのアイデアから生まれたものです。僕はそれを実現するためのテクノロジーの面を見ています。神谷さんはプロデューサーとしてビジネス開発を担当しています。


necomimi開発を進めた「neurowear」チームの神谷俊隆さん、加賀谷友典さん、なかのかなさん(写真左より)
necomimi開発を進めた「neurowear」チームの神谷俊隆さん、加賀谷友典さん、なかのかなさん(写真左より)

それぞれどのような経歴をお持ちなのでしょう?

私と神谷さんは電通の社員です。私は以前、サイバーエージェントでネット広告の制作の仕事をしていて、2009年に電通に転職しました。


2009年に電通に転職する前は、ネット系のプランニング会社とプロダクション2社の役員を掛け持ちしていました。


僕は長年、新規開発専門プランナーとしてフリーで活動しています。電通 モバイルコミュニケーション開発部の立ち上げを手伝ってほしいという依頼が来て、部署にジョインしました。電通のオフィスに机はありますが、今もかなり自由な感じで動いていますね。


次世代コミュニケーション開発部にはほかにも当然、人がいますよね? なぜこの3人がチームを組むことになったのですか?


もともと僕は「幅広くいろいろなプロジェクトを見て」と言われていましたが、なかのさんが思いついたiButterflyは技術的な難易度がかなり高かった。そこで、僕がベタ付きで参画することになったんです。


そこからアプリをリリースし、ビジネス(収益)化する段階で僕が加わった。そんな経緯ですね。


最初の印象は「はあ?!」だったnecomimiに、イノベーションの形が見えた瞬間

necomimiの開発についてお話を伺いたいと思います。未来のコミュニケーションを考える時に"脳波"に着目したのはなぜだったんですか?

ここ最近のコミュニケーションの進化を見た時に、ブログやWebが簡易的になり、Twitterが出てきて、さらにFacebookで「いいね!」を押すだけ、という流れになっている。これがさらに進むと、最終的には「言語では何もしない、非言語的なコミュニケーションが成立するようになるのでは」と考えました。「じゃあ非言語的なコミュニケーションの手段として何があるか」と3人で話していたところ、「脳波が面白いのでは」ということになったんです。


人間のコミュニケーションの多くは言語的なものを使っていますが、コミュニケーションに使える情報はまだほかにもあるはず。脳波はその中で、まだ誰も使ったことがない未体験ゾーンだったのです。


技術的にも追い風が吹いていました。検討を始めた2010年の夏ごろ、僕はちょうどシリコンバレーに行き、脳波センサーを作っている会社を訪問していたんです。その際に脳波センサーにはものすごいコストダウンが起きていて、数年前だったら1つ数百万円はしていたのが、わずか数千円程度で使えることを知ったのです。頭に1点つけるだけで脳波が取れるようになっていたのも大きかった。「これを使って何か作れる」と感じました。


ではなぜネコ耳だったのでしょう?

脳波を検出するには、必ず1点、頭にセンサーをつけなくてはならない。頭につけてカワイイものはなんだろう? と考えていて、「ネコ耳だ!」と。すぐに手描きでアイデアスケッチを描きました。


necomimiのコンセプトアイデアをイメージに落としこむ

いきなりそのアイデアスケッチを渡された僕は正直、最初は「はあ?!」という感じ(笑)。事業開発系プロデューサーとしては、きちんとマネタイズできるものを開発しなくてはならないですから、さてどうしたものかと......。


ほかにも10案くらいアイデアを考えたのですが、結局、ネコ耳が一番面白く、「じゃあとりあえずプロトタイプを作ってみようか」となりました。それが2010年の秋ごろですね。


なるほど、綿密な計画を立てるのではなく、アイデアや発想を中心に製品開発を進めていった。

ですね。その後、秋葉原でいろいろなネコ耳を買ってきて形状を検討したり、どんな動きにすればいいかについて意見を出しあったりしました。基本的にこの製品は人間のコミュニケーションのために使うものであり、ネコになりきるためのものではありません。だからリアルな耳の動きを真似るよりも、感情表現としてカワイイ動きができることを目指しました。


ただ、プロトタイプを形にするのは非常に難航しましたね。僕らはエンジニアではないので、開発会社を探したのですが、これがなかなか見つからない。「持ち帰って検討させてください」といわれた数日後には、「やはりウチでは無理です」という答えが返ってくることの繰り返しで。それでもあきらめずにツテを探し続けていたら、あるロボットクリエイターの方を見つけ、一緒に開発を進めてもらえることになりました。


プロトタイプはいつごろ、できあがったんですか?

2011年の1月です。ただこの時、僕と加賀谷さんは正直「マズイ」と思ったんですよね。


「マズイ」というのは、「面白さがまったくわからなかった」ということです。プロトタイプには耳がついておらず、ただ頭の上で部品が動くだけ。これで新しいコミュニケーションが生まれるの? と。


開発予算を使っているからには、それを回収して新しいビジネスを生み出さなくてはならない。このままではそれは難しいんじゃないかと感じました。


困りましたね......

ところがですね。試しに画用紙で耳を作ってつけてみたら......これがめちゃくちゃ面白かったんですよ! 同じものなのに全然違うものに見えた。


耳の動きがあることで、自分の頭の中をまるごと見られている感じ。しかもそれが画像ではなく、体の一部のような形で表現されている。これはまったく新しい体験だぞと。


necomimiのアイデアが形になった

私の頭の中で浮かんでいた絵が、2人には完全には伝わっていなかったんですよね。


なかのさんにとってのイノベーションは、アイデアスケッチを描いた時だったんでしょう。一方、僕と神谷さんが感じたイノベーションは、プロトタイプに画用紙で耳をつけた瞬間でした。ここで初めて3人でビジョンが完全に共有でき、「絶対面白い、やろう」となったんです。


今世の中にない新しいものは、計画を立てて開発しても生まれない

当時、皆さんはこのnecomimiプロジェクト専属ではなかったんですよね?

はい、もちろん。それぞれクライアント案件の別プロジェクトも抱えていました。


いつも同じオフィスにいるので毎日ディスカッションはしていましたが、昼は別件のミーティングもあるので、夜な夜な集まって、という感じでしたね


空中分解の危険を感じる時はなかったですか?

やはり締め切りを決めないとダラダラしてしまい、結局モノにならなかったとなりかねない。だから僕のほうできっちりスケジュールを切りました。当時、僕が携わっていた2011年のゴールデンウイークに開催するイベントに、necomimiを試しに出展させてもらうことにしたんです。


そうなるともう逃げられないので、そこから完全に火がつきました。やはりそういうマイルストーンがないとプロジェクトを前に進めるのは難しいですよね(笑)


期限をしっかりと定めることで、チームの結束力が深まっていった。

ええ。加えて、このイベントの準備・運営を3人でやったことが、チームワークを強固にする一因にもなりました。準備段階で普段の仕事とはまた勝手が違う、いろいろな作業が発生するわけですが、例えばプレスキットやリリースを作るのはなかのさん、Webサイトを作るのは僕、外部との折衝は神谷さんといった具合に役割分担が明確で、しかもほかの人から言われる前に自分から動いていた。お互いへの信頼感が高まりましたね。


結果的に、このイベントに出展したnecomimiが大反響を呼び、ロイター通信をはじめとする海外メディアが取材に来てくれました。ニュース配信が重なったことで、necomimiの話題が世界中に拡散していきました。


1日100通ぐらい問い合わせのメールが来ましたもんね。で、3人とも英語ができなくて泣きそうになるという(笑)。YouTubeのプロモーション映像の再生回数も、それまで2万回くらいだったのが、1カ月で100万再生くらいになって。


あそこまで話題になるとはまったく予想していなかった。その反響を見て「これはビジネスとしていける!」と確信を深めました。


2011年9月の「東京ゲームショウ」に出展した際もものすごい反響でしたよね。一気に盛り上がったわけですが、neurowearチームがプロジェクトを進める上での基本的な考え方とはどのようなものだったのでしょう?


まず企画書はありませんでした。あったのはなかのさんのアイデアスケッチだけ。あえて作成する必要がなかったというか。


事業計画もなかったですね。necomimiのようなこれまで世の中になかったまったく新しいものは、どう転がっていくかわからないから、いちいち計画を立ててやるものじゃない。どうマネタイズしていくかはプロジェクトを進めながら考えていきました。"走りながら考える"というのが基本でしたね。


海外メディアに報道され、プロダクト開発で見事に成功を収めたnecomimi。開発を進めたチーム「neurowear」のチームワークやメンバーのリーダーシップに迫る後編「ものづくり経験ゼロの電通社内チームが、世界中で売れた新型ガジェット「necomimi」を開発できた理由」もお楽しみください。

(取材・執筆:荒濱一/撮影:橋本直己/企画・編集:藤村能光)

necomimiをもっと知りたくなったあなたに

脳波で動くネコミミ「necomimi」&尻尾「shippo」を装着するとこんな感じ

このネコミミ動くぞ! neurowearの謎に迫る!

脳波で動くネコミミ、ニコニコ超会議で発売

著者プロフィール

ベストチーム・オブ・ザ・イヤー

ベストチーム・オブ・ザ・イヤーは、2008~2016年の間、最もチームワークを発揮し、顕著な実績を残したチームを、毎年「いいチーム(11/26)の日」に表彰したアワードです。