世界初の深海撮影に成功した江戸っ子1号プロジェクト、チームを陰で支えたのは誰か
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2013年11月、世界で初めて深海生物の3D映像撮影に成功した、無人深海探査機「江戸っ子1号」。この「江戸っ子1号」プロジェクトは、大企業ではなく、東京下町の中小企業群が、大学、国の研究機関、金融機関と産学連携チームを組んで実現させた事例として、多くのメディアで紹介されたので、ご存じの方も少なくないだろう。
だが今回は、このプロジェクトを別の視点からアプローチしてみたいと思う。確かに「江戸っ子1号」は中小企業の技術力を結集して実現されたが、実はこれまであまりフォーカスされなかった側面がある。それが、芝浦工業大学、東京海洋大学ら学部生、院生の存在だ。
プロジェクトに携わった経営者たちが言うには、プロジェクトの現場を円滑に推進できたのは、中小企業をサポートし、ときに潤滑油となった、この大学生たちに負うところが大きいという。
大学生たちはプロジェクトの中で、どのように機能し、学んだのか。メンバーである中小企業の経営者たち、当時の芝浦工業大学の学生たち(写真左から田玉紀史さん、佐藤優太さん、肥澤拓也さん)に話を聞いてみることにした。
学生なしではできないプロジェクトだった
まずはプロジェクトの背景を簡単に企業メンバーに説明してもらおう。今から4年前、2011年4月から本格始動した「江戸っ子1号」プロジェクトは、構想を実現させるまでに中小企業ほか、芝浦工業大学、東京海洋大学、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、東京東信用金庫など累計100人前後のメンバーが係わってきた。
「江戸っ子1号」プロジェクトのリーダー的メンバーで、現在プロジェクトの事業化を支援している東京東信用金庫お客様サポート部のコーディネーターである桂川正巳氏は次のように語る。
「メディアでは、これまで私たち企業人の側面ばかりがフォーカスされてきました。ただ正直言って、中小企業は各技術には強いのですが、それをどう探査機に活かすかという理論や開発の話になると、難しい部分も出てきます。そこを補ってくれたのが学生たちなのです。だからこそ、スムーズにプロジェクトを進めることができたと思っています」
同じくメンバーであるパール技研代表取締役の小嶋大介氏も、次のように証言する。
「社長である私が平日の夜や土日にプロジェクトに係わるのはいいのですが、従業員を土日も使うのは業務上難しい。どこだって企業側はあまり人数を出せません。その中で、本当に一番働いてくれたのは学生たちです。彼らなしではできないプロジェクトでした」
なかなか進まなかったプロジェクト
「江戸っ子1号」プロジェクトは毎月1回、午後6時~8時まで定例の技術会議が開かれた。だが、最初の1年はなかなか進まない状態が続いた。
メンバーであるバキュームモールド工業社長の渡部雄治氏が振り返る。
「私はプロジェクトに途中から参加したのですが、最初に会議に行ったときは、ひどいものだと思いました。何十人も集まって、板書もない。各自メモを持ち帰って、次はこれをやりましょうと決めても、次に集まると前回の話自体を忘れてしまっている。議題をリマインドする人もいない。そのときは私もキレましたね」
多くの中小企業が参加するため、企業間に温度差があるのは否めない。ほかのメンバーも同じような印象を抱いていた。
「私も産学連携は初めてでした。メンバーには口うるさい人もいるし、皆さん社長だからクセの強い人も多い。いろんな人がいろんな方向を向く。最初はいろいろいるんだなあという感じでした」(小嶋氏)
ただ、そこはプロ同士。一旦方向性が見えてきて、具体的なモノをつくるとなると、議論はしやすくなった。そうすると、「意外にあの人はこう考えていたのか」と人となりも見えてくる。一緒に飲んで、次第に不満や誤解も解消されていった。
こうした大人のメンバーたちに交じって、プロジェクトの現場に参加した学生たちは15人強。当初は学生も遠慮しているところがあったというが、どのように機能していったのだろうか。
やれることは何でもやった
こんな背景のプロジェクトに集まった学生メンバー。技術会議に初めて参加したときのことを当時芝浦工業大学の青木研究室院生だった肥澤さんと田玉さんはこう語る。
「僕が参加したときは、プロジェクトが一番落ち込んでいるタイミングでした。会議にいくたびに皆さんがワーッと言い合うし、突然3日後にデータを出してと言われる。先が見えない不安がありました。」(田玉さん)
「でも、初回の挨拶で、『勉強させてもらいます、よろしくお願いします』と言ったら、誰だったのか忘れたのですが、『勉強じゃなくてどんどん意見言ってもらわないと』と言われて。あぁ、僕ももうメンバーの一人なんだと思いました」(肥澤さん)
学生たちは徐々に馴染んでいった。彼らは指導教授のもと研究室から派遣されてくるため、プロジェクトのどんな仕事でも、あくまで研究の一環だ。懸命であるとともに、どんな仕事もこなすように努力した。
「プロジェクトでは設計、組み立て、解析から作業まで何でもやりましたね。もともと所属研究室は実験も多く、ないものは工作機械を使って自分たちでつくっていましたから、手を動かすことには慣れていました」 同じく芝浦工業大学電子工学科の小池研究室に所属する院生の佐藤さんも振り返る。
「もともと私の研究分野とは違うものだったのですが、プロジェクトの実験段階で紹介され、江戸っ子1号をぜひやりたいと思って入りました」(佐藤さん)
理論と実践のモノづくりの極意
このように学生たちは、高いモチベーションをもってプロジェクトに参加していったが、大人たちとプロジェクトを進めていくうえで、気をつけたこともあった。
「こちらが考えていること、相手が考えていることの間に齟齬が生じないよう、やり取りには気をつけました。開発では微妙なズレでも、重なってくると後で大変なことになります。しっかり話して、すり合せるようにしました」(田玉さん)
企業側に教えられることも多かった。学生が理論を打ち出しても、実際のモノづくりに落とし込んでいくには、独自のノウハウが必要になるからだ。
「こちらがここを溶接してくださいと言っても、必ずしも意図通りになっていないときがありました。設計と実際の作業では微妙なズレが起こるからです。理論でいかに伝えて、実践でどう修正するのか、非常に試行錯誤しました。一つのモノを作り上げていくのは、こうも難しいものかと実感しました」(肥澤さん)
参加企業には電子関係の作業者が少なく、撮影の制御システムの開発は電子工学科に所属する佐藤さんに負うところも大きかったという。
「カメラの設定項目が多く、リストを何度も作り直し、皆さんに指導してもらいながら、実験を進めていきました。海での実験のスケジュールは変更も多く、締切に追われました」(佐藤さん)
海の実験は、陸で行う水槽実験とはまったく違う。例えば、海流の渦で振動が起こり、ネジが緩んでしまうという想定外のケースも起こった。
「いつもであれば『絶対にこれなら大丈夫だろう』と直感的に思う部分も、不安だと感じたらその部分を一つひとつ消していきました。私たちが失敗すれば、ほかのメンバーの作業にも影響が出てしまう。私たちの仕事は、"壊れない"からがスタートでした」(田玉さん)
ギリギリ失礼なヤツが可愛がられる
こうした苦労に加え、社会人と学生という立場の違いから、仕事の進め方では社会人がリードし、学生はそのスピード感に面食らうこともあった。 「研究室とプロジェクトのスケジュールはまったく時間軸が異なります。例えば、学会の準備をしているときに、プロジェクトでは突然『1週間後にデータを出して』と言われる。そういったときは、研究室の中で役割分担を決めて、総力戦で対応していました」 では、企業側は学生たちをどう見ていたのであろうか。小嶋氏は大人同士がときに乱れそうになったとき、学生たちが潤滑油になってくれたことがあったと語る。
「学生たちががんばっているのに、俺たちが、ということはありました。学生のほうが大人でしたね。ギリギリ失礼なヤツも多くて、それがまた可愛がりたいという気にさせるのです(笑)」
プロジェクトをスケジュール通り進めるうえでも、学生たちは大きな貢献もした。
「私たちの場合、何かをやろうと思っても、仕事が入ったりすると突然いけなくなることもあります。でも、学生は実務的に動いていて、必ずやってくれているという状態。かなり甘えた部分もありましたね」(渡部氏)
こうしたやり取りの末、2013年11月、彼らはプロジェクトを実現させるに至る。苦労したプロジェクトが成功して、メディアに取り上げられ、たくさんの賞を受賞したときは、「とても誇らしかった」と学生たちも口を揃える。
「僕たちが設計したんだよ、と胸を張って言えました。TVで見たよ、と友達から連絡が来たり、メンバーで学長賞をもらったり。自分が努力したことがかたちになって評価されたことがとてもうれしかったです。自分の研究もしっかりやらないといけないというモチベーションにつながりました」(肥澤さん)
「成功体験というか、今就活をしているので、何かを取り組むときの自信になっています」(佐藤さん)
学生たちが得たものとは何か
経営者と学生が互いをカバーし合い実現させた今回のプロジェクト。そこから、学生たちは何を学んだのだろうか。
「堂々と人前でプレッシャーに打ち勝って、自分の意見を言えるようになりました。いろんな人との関係性を築いていくことができるようになったのも大きいと思います」(田玉さん)。
「中小企業の良さや大変さを身近で見て感じることができました。中小企業には大企業にないスピード力があります。今の会社も中小企業のサポートをしたいと思って入りました」(肥澤さん)
個性ある人たちに囲まれながら、一つの目標を目指して、議論を重ね、具体的な作業を行い、結果を出したことが学生たちには大きな経験となっているようだ。
今回のプロジェクトについて、桂川氏は、その意義について次のように語る。
「学生たちがつくったものがうまく動かないこともありました。でも、どうすれば動くのか。議論しながら、つくり上げたのは中小企業のプロたちでした。学生たちにとっては、時間をかけてじっくりと基本的な部分を先生や企業に指導してもらいながら、勉強したことが一番大事だと思うんです。何もないところから皆で研究しながら、つくりあげる。今回の経験こそ、一種の総合工学だと思っています」(桂川氏)
企業も学生も元気になった
学生たちも、プロジェクトに対する想いも決して消えてはいない。
「モノづくりにおいて、一つの目標を完遂するまでの過程を一から経験できたことは大きいですね。学生時代の最大の功績、自分の爪痕を残せたと思います。」(肥澤さん)
「大学時代の大きな成功体験です。プロジェクトの経験をモチベーションにして自分の研究分野をもっと深めていきたいと思っています」(佐藤さん)
「僕に関しては今後も江戸っ子1号の開発に関わっていくため、まだ終わっていません。今後は社会人として、さらに研究を進めます。新しい視点から見れば、プロジェクトはもっと発展させる要素があると思っています。潜在的なニーズを含めて、自分が担当した躯体部分だけでなく、ソフト面でもアプローチしていきたいと思います」
こう語る田玉さんは、今回のプロジェクトが縁となって、前述の小嶋氏の会社に就職している。小嶋さんは、うれしそうにこう話す。
「学生のときにラーメン一杯食わせてよかったと思いました(笑)。クルマで移動のときに、学生の相談を聞いていると、『それならうちでできるよな』ということになって、今年4月に就職してくれました。うちがまさか大学院生を採用できるとは思いませんでした。今は、ほかの大学からも問い合わせがくるようになりました。現場で戦力になる人材だけでなく、発想や経営面に戦力になる人材をとれるようになり、会社に成長につながっています」(小嶋氏)
江戸っ子1号の事業化を受けた岡本硝子株式会社の高橋弘氏は、今後について次のように話した。
「皆でつくりあげてきた江戸っ子1号の基本を大事にしながら、さらに発展させるように改善を加えて、少しでも使いやすい商品に育てていきたいと思います。ユーザーの細かい要望に応え、信頼度を上げること。その結果実績を積み重ね、世の中に認知されていくと考えています。産学官金連携による新規プロジェクトが事業化に踏み出した例はあまりありませんし、江戸っ子1号が世の中にはばたくことはプロジェクトに関わっていただいた学生さん達の励みになるだけでなく、中小企業の技術力と産学官金連携の成果を世界に発信するということにもつながると考えています。」(高橋氏)
プロジェクトの本当の成果は何だったのだろうか。桂川氏が最後にこう付け加える。
「このプロジェクトで、基本的にはメンバーがそれぞれ成長したと思います。今回のプロジェクトで、学生たちが研究した結果は、彼らの卒業論文、修士論文、学会発表などに集約されており、芝浦工大と海洋大の各教室を合わせると3年間に16編の論文が書かれています。企業も学生も元気になることができました。その意味では成功している。企業と研究分野それぞれに一つの貢献ができたと思っています」
(取材・執筆:國貞文隆/撮影:尾木司)
著者プロフィール
ベストチーム・オブ・ザ・イヤー
ベストチーム・オブ・ザ・イヤーは、2008~2016年の間、最もチームワークを発揮し、顕著な実績を残したチームを、毎年「いいチーム(11/26)の日」に表彰したアワードです。