米からパンを作るという常識の転換で起こす"食卓革命"――「GOPAN」プロジェクトチーム
※ベストチーム・オブ・ザ・イヤーのサイトから移設しました
発売から予約が殺到し、予約受付中止、発売日の延期までなったライスブレッドクッカー「GOPAN」。家庭の米からパンを作るというこれまでに無い発想で、ホームベーカリー市場に新たな風を巻き起こしました。「本当に硬いお米からパンにできるのか」「誰がやっても同じおいしさになるか」――。商品開発の裏側には7年にもわたる試行錯誤の日々がありました。 大ヒット商品をつくりあげたチームワークについて、パナソニックグループ 三洋電機「GOPAN」プロジェクトリーダー 滝口 隆久さんに伺いました。
米からパンを作る――常識をくつがえす逆転の発想
――GOPANプロジェクトチームはいつ結成したのでしょうか。
2010年1月末です。通常は商品発売の数カ月前からプロモーションチームがPOPを作成して量販店回りをしますが、GOPANは発売の約1年前から組織を超えたプロジェクトチームを発足する異例のプロジェクトでした。
「お米からパンを焼ける」という新しい価値を知っていただき、(製品を)使いやすくするにはどうするべきか、早い段階からチームメンバーで議論を重ねていきました。
――そもそも、米からパンを作るという発想はどのようにして生まれたのですか。
私たちの事業部は炊飯器がメイン事業で、お米へのこだわりがあります。米粉が普及し始めたときには、米粉から作れるベーカリー製造に着手し、2003年に業界初の米粉ベーカリーを発売しました。しかしこの製品では、米粉から製造する過程でグルテンという小麦の粘り成分を入れなければパンが完成しませんでした。そのため、小麦アレルギーの方は米粉から作ったパンなのに、食べることができなかったんです。そこで開発を重ね、新たにグルテンではなくグアガムという豆を成分にした材料を使い、小麦成分ゼロで作れる米粉ベーカリーを2005年に発売しました。
いずれの製品もベーカリー専用にブレンドした「ミックス粉」が必要で、市販の材料からはできなかったんです。ベーカリーを販売している家電量販店にミックス粉を置いたり、インターネットや電話でも注文できるようにしていましたが、障壁は高く、興味をもったお客様にがっかりされるシーンが多々ありました。
米粉で作れるベーカリーをもっと普及させたいと思っていましたが、今のやり方では普及しない、家庭ですぐに手に入る材料であるお米からパンが焼けなければだめだと感じました。
その時ふと、豆を挽くミルの技術がお米を粉にすることに生かせるのではと思い付きました。三洋電機はコーヒーメーカーも開発しているからです。そこでベーカリー担当者がお米を粉にする技術の研究を開始しました。
――そこから現在のGOPANの本格的な開発が始まったんですね。/p>
そうですね。試作機を4台以上作りました。石臼を使ったり特注した刃物で試作機にはめてみたりと、思考錯誤の毎日でした。2008年3月、ようやく粉にすることができてパンになったものを、商品企画会議で披露しました。でも、食べてみるとじゃりじゃりする。お米を粉にする際にセラミックの刃が削れて米粉に混ざっていたのです。
限界を感じました。当時商品企画推進部長だった私は、開発も長期にわたっていたこともあり、一度開発を凍結させる決断しました。
――進行がストップした時があった。
はい。しかし数カ月が経ち、炊飯器のノウハウを持った技術者が「水につけたお米は柔らかくなる、パンにするには米粉に水を混ぜるから最初から水につけてもいいのでは」と思いついたんです。研究を重ねた2008年夏には、実際にパンになった試作品を持って来てくれました。
活路が見えてきたことで、「この製品を世に出したい」という気持ちを新たにしました。これまでに、お米のノウハウとホームベーカリーのノウハウが集まっていました。そこに加西事業所で開発していた掃除機やジューサーの回転機技術が加われば、お米をペースト化しパンを焼く理想の米粉ベーカリーができると確信しました。
さっそく加西事業所へ飛び、「この製品が現在のベーカリー市場を変え、食卓革命を起こす製品であること」を説明し、協力を仰ぎました。彼らもすぐに賛同し、秋には2名の担当者を割り振ってくれました。そこから2年かけて現在のGOPANに仕上げていきました。
「世の中にないオンリーワンの製品を作りたい」という理想に向かって
――どのように全社を巻き込むプロジェクトが発足したのですか。
通常は、製品がある程度完成してから企画統括部の販促担当がカタログPOP作成するといった流れが決まっています。しかし今回は新しい市場を創出し、お米からできるベーカリーであるという認知を獲得していかないといけない。モック段階から製造・品質保証・マーケティング・広報・渉外・海外・プロモーションなど、組織を超えた三洋電機の機能を集結したプロジェクトチームで進めていきたいと、マーケティング本部の副本部長に相談しました。
実際に試作機を見ていただくと「こりゃおもろいな、やろうやないか」と賛同をいただきました。2010年12月に各部署のキーマンに声をかけ、2011年1月に鳥取に集まって、試作のパンを食べてもらいました。目の前でお米からパンができること各部署の方に体験してもらい、味わってもらうことでインパクトを感じていただけました。
食料自給率を上げるというGOPANの社会的意義にも賛同してもらい、プロジェクトチームが発足しました。その直後、三洋電機全体の強化育成事業としての認定も受け、メンバーの士気が高まっていきました。
――プロジェクトチームのコミュニケーションはどうしていましたか。
マーケティングチームはお米からベーカリーを作る新たな製品という価値をいかに認知させるか、製造チームはモック段階の製品の商品化に向けた課題など、各部門のプランや進ちょくをすべてを持ち寄って、GOPANプロジェクトリーダー会議を開いていました。テレビ会議システムを使い、最低でも毎月1回、多い時には月2~3回のペースで話し合いをしました。
時には現場担当者にも加わり、全体進捗から現場の細かい情報まで共有していました。長い時には会議が6時間におよぶ時もありましたね。特に最初はモノづくりへのこだわりがぶつかり合い、議論が白熱しました。
GOPANを単純に「ベーカリー」というハードとして出すのではなく、生活がどんなふうに変わるかというストーリーを伝えよう、と各部署のリーダーが知恵を出し合い、話し合いを続けていきました。
――メンバーのモチベーションはどうだったのでしょう。
すごく高かったと思います。というのも、リーダー会議で決めた内容から発展させた活動を、それぞれの部署で自発的に行ってくれました。例えば、マーケティング本部は、量販店以外のお客様――農林水産省や地方自治体など――の認知向上のために取り組んでくれましたし、広報担当者も試作機が少ない中、毎日のように何斤もパンを焼いては取材を受けていました。
GOPANは製品発表から現在も含めて、他製品に比べて、お問い合わせ量やWebのアクセス数が群を抜いて多いです。寄せられる1つ1つの声に、カスタマーサービスのメンバーも熱く対応してくれていました。
――チームを率いるうえで苦労した点はどのような点でしたか
特に苦労したわけではありませんが、元々バラバラな部署のメンバーが集っているため、チームごとのゴールと進捗がばらついてしまうことが懸念でした。そこでプロジェクトの目標やミッションを明確にして、メンバーの想いを大事にしながら、一致団結してやっているという間隔を感じてもらうことを心掛けていました。何を大切にすべきか認識してもらうために、コンセプトや想いは最初のころよく語っていましたね(笑)
振り返ると、何を大事にしなければいけないかという点を全員が認識するために時間をかけていたと思います。そこで決めた活動の基本コンセプトは、「安心していただく」「知っていただく」「味わっていただく」「疑問に答える」という各項目の上に成り立つ、きめ細かなお客様対応を志すところにありました。このベクトルがずれていなかったから個々に乱れず、スムーズに進行したと思います。
世の中にないオンリーワンの製品を作りたい
――最後に今後の展開を教えてください。
私たちは「お客様が本当にほしい世の中にないオンリーワンの製品を作りたい」というポリシーを持っています。1つの企画会議で新しい発想が色々出てくるし、出します。お客様の困っていることを解決する製品を具現化したいという気持ちを商品開発に生かしています。
実際に研究開発する際も、初期の開発では特に稟議を通すなど難しい手続きを踏まずに、企画会議で上げたアイデアを実行していく柔軟な社風があるんですね。その風土のなかから生まれた商品の1つがGOPANです。炊飯器は600万台市場といわれていますが、お米という同じ原料を使うGOPANも毎日使っていただけるような身近な存在にしたいです。もっと便利に、もっと簡単に、もっと小さく。一家に一台に育てていきたいです。
著者プロフィール
ベストチーム・オブ・ザ・イヤー
ベストチーム・オブ・ザ・イヤーは、2008~2016年の間、最もチームワークを発揮し、顕著な実績を残したチームを、毎年「いいチーム(11/26)の日」に表彰したアワードです。